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白石島のみどころ
文化

白石島のみどころ〜文化〜


開龍時


港から島特有の細い路地をたどっていった先に、開龍寺はあります。
弘法山開龍寺はその由来を弘法大師に遡るとされる由緒ある真言宗の古刹です。




■開龍寺の歴史  

大同元年(806)弘法大師が唐から帰国する際に白石島に立ち寄り、奥の院の巨岩の下で37日間の修行を行ったと伝えられます。
大師は島を去るに当りここを霊地と定め一寸八分(約6cm)の尊像を刻まれ、上下四方を結界して安置しました。
これが開龍寺の起源となります。
その後、源平合戦の時代、水島灘の合戦時の死者の追善のために一宇を建立して弘法山慈眼寺と称しました。
寛永2年(1625)、島に大きな影響を残した福山藩水野家の福山城主水野勝成公が祈願所として 当時は荒れていた開龍寺を新たに建て替え、教海山開龍寺と名付け、厚く保護しました。
これが現在まで直接連なる開龍寺の始まりとなります。
開龍寺は水野家の祈願所として堂宇を再建されたため、島民の寺というよりは、水野家の寺という位置づけでした。
島民の菩提寺は神島の日光寺でした。
しかし、島民の開龍寺に対する尊敬の念は深く、島で争いごとがあっても開龍寺の住職が出てくればすべて解決したと言われます。
寛保3年(1746)笠岡の人今田慧弦が大師堂に籠って修行中、弘法大師の夢のお告げを受け神島の地に八十八ヶ所の霊場を開創し、 開龍寺を奥之院根本道場としました。

時は移り明治となり、水野家の領有地から幕府直轄の天領と移り変わっていた白石島は政府公有地となりましたが、 政府は白石島の民間への払い下げを計画しました。
この時に、島外の財閥が島を所有することになる事は島にとって死活問題であるとして時の開龍寺住職教海俊定師が先頭に立って運動を起こし、 島民有志が私財を投げ打って借金をして白石島が島外の人間の所有となる事を防いだ事から、開龍寺の地位はますます高まりました。

同時期、島民は日光寺から開龍寺に自分たちの菩提寺を変更するための運動を起こし、 認められなければキリスト教に改宗するとまでの決意で臨み、開龍寺を自分たちの菩提寺としたのでした。

このように、開龍寺には島の運命に関わる激動の歴史があるため、 島の人々の信仰心はとても篤く、島全体から大事にされているお寺です。

近年では、昭和43年5月タイ国バンコック市の名刹ワットパクナム寺より、住職プラ・ラーチャー・ウェティー師一行が来島した折に、 仏舎利(お釈迦さまのお骨)と1200年前の釈迦如来像一体を開龍寺に奉納して、昭和45年に島でも一際目をひく 高さ24mの真っ白なタイ式の仏舎利塔(ストゥーパ)が建立されました。




















■開龍寺散策  

永護神社
 開龍寺も明治以降の神仏習合の結果よくあるように神仏集合の形式をとっているため、参道には鳥居が建っています。
 その鳥居を抜けてすぐ右手の巨石の脇にこじんまりとした祠があります。
 これが永護神社であり、源平合戦の戦死者を祀る神社です。
 この巨石には、雨の日には武士の姿が浮かぶという言い伝えもあります。






本堂
 開龍寺本堂は近代的なな鉄筋づくりの建造物となっており、大変手入れが行き届いています。
 島の人達の信仰心が生きている事が感じられます。
 本堂には聖観音が祀られています。





奥の院
 開龍寺の建造物の中で一際印象的なのが、この巨石に押しつぶされそうに建っている奥の院という事になるでしょう。
 この奥の院は、弘法大師が修行をしたと言われる地であり、大師が島に残していった像がまつられています。
 現在の建物は1743年に建てられたものです。
 また神島八十八ヶ所の奥の院ともなっており、巡礼者が最後に訪れる場所でもあります。





灯篭
 奥の院に向かって左手には石灯籠が一基立っていますが、この石灯籠は寛文十二年(1672年)の年号が掘られています。
 福山藩第四代当主である水野勝種の寄進によるものであり、笠岡市内で一番古い石灯籠となります。




仏舎利塔
 遠くからでも目をひく白い仏舎利塔は、タイはバンコックのワットパクナム寺から寄贈された仏舎利と 1200年前の釈迦如来像が祀られています。




街並


白石島の路地は島特有の細さで家々の間を抜けて行きます。
まず、その細い路地そのものが、何とも懐かしい気分にさせる空気を宿しています。
その街並には、時間が止まったかのような、素晴らしい空気を残した建物があります。
まず、港から島の中心部に入ってすぐ、現在の郵便局の斜め向かいには白い瀟酒な旧郵便局を見る事ができます。
白石島には、最盛期には人口は二千人くらい住んでいました。
その当時には、島には映画館があり、映画の上映も行っておりました。
その映画館がまだ残っています。
映画の「映」の字のシンボルマークが何とも味わい深いものがあります。









元禄綿体験


元禄綿は、白石島を干拓した水野家により伝えられました。
棉栽培は戦後まで続けられましたが、一時途絶えていました。
近年になって、公民館の郷土学習で、元禄綿の復活を願い活動が再開しました。
棉栽培から糸つむぎ、手織り、草木染めまで発展しており、子供から大人まで体験できる工房(こうぼう)の整備を目指しています。




島八十八カ所


空海は日本の仏教に大きな足跡を残しました。
四国全体を霊場としてまわるお遍路めぐりの創設もその足跡のひとつです。
このお遍路めぐりを模して、日本全国にミニ八十八カ所とでも言うべき霊場が存在しますが、 空海にゆかりの深い白石島にも同様に八十八カ所めぐりが存在します。 海の中にいる仏像、岩の割れ目にいる仏像など、特徴ある仏像を探してみて下さい。

白石島の虫送り


田畑の害虫(の絵)を小船に乗せて海に流し、1年間の豊作を祈る初夏の伝統行事です。
農薬のなかった時代には害虫は大問題で、どこの地域でも行われていたものが、白石島では現在も続いています。
かっては旧暦6月1日に行っていたが、現在は新暦7月第1日曜日に行っています。

当日は、開龍寺に参り、住職が経を上げます。
そして子供たちが書いた虫の絵の旗を持ち、虫を流す舟を先頭に太鼓を叩きながら皆で虫送りの唄を唄い、田畑を通って西浦の海岸まで行列して移動します。
浜辺に到着すると、経を上げながら小船を海に流します。