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白石島の環境学習〜概論〜


島と環境学習



ESD(持続的発展教育)とは
近年、世界的な規模で問題となっている環境問題について様々な視点から考え、持続的発展可能な社会のあり方について学習、実践するための教育プログラムを持続的発展教育(ESD)と呼びます。(参考:ESD-J等を参照していただけると良いと思います。)

環境問題は私たちの生きて行く上での重要な課題です。
人類が自然と共生し、持続的な発展可能な社会を築いて行くためには、循環型社会の構築が不可欠となります。
つまり、資源をどんどん消費して生産と廃棄を繰り返す社会ではなく、資源をなるべく再利用し、環境への負荷を減らして行く社会の構築です。

古来日本の生活システムというのはほぼ理想的な循環型社会として成立していました。
とりわけ白石島のような小さな閉じられた体系にあっては、その循環の全体像が把握しやすいため、環境学習においては最適の素材となります。

白石島では、つい数十年前まで、島での実際の生活そのものが循環型の社会として成立していました。
島で全てを生産し、そして島の環境に還して行き、そして島からまた恵みを与えてもらって、親から子へと受け継いでゆく循環。

島には、実体験として循環型社会を経験している世代が、元気に活動を続けています。
物質循環がどのように行われていたかとう物理的な側面ばかりでなく、緩衝池の泥さらいなどの資源の循環のために必要な労働は、祭りや踊りなどの島の行事の一環として行われ、持続的な取り組みが行われやすいように工夫されていたという事など、文化的な側面も多いに注目されるべきです。

ここでは、まず、島の知恵として実践されていた循環社会維持の文化的システムなどについて、その一部を紹介してみようと思います。


1 白石島の循環社会


白石島では、昭和30年くらいまで、島内でのほぼ自給自足の生活が成立していました。
その際の主な穀物の生産は麦であり、さつまいもとの二毛作が行われていました。
養蚕、綿の栽培もされていて、衣料なども島の内部で機織りをして生産されていました。
除虫菊、ゼラニウムなどは、島の外からの物資を買い入れるための現金収入のための 手段として栽培されていました。
水は井戸水を使用していました。
昔の写真と今の写真を右に比較として置いてみます。
煮炊きには落ち葉や枯れ枝を使用しており、落ち葉や枯れ枝は貴重な資源だったので、 風が吹けば山に木の葉を拾いに行きました。
写真右の方に映っている山が、昔は下生えもない状態なのが見て取れます。
これは、島民が頻繁に山に入り、落葉や落枝を燃料としてこまめに拾っていたからです。
時に松枯れをめぐって争いが起こるほど貴重な資源だったのです。
頻繁に山に入るので、山に入る道もきれいに整備されていました。
一方、現在は、家庭の燃料も島外から買って来るガスなので、山に入る必要はありません。
山には木が豊富に生えているとも言えますが、山に入る道も荒れがちで、島の人と山の距離は、 むしろ遠くなっていると言える状態です。

また、昔の写真では、畑が山の際ぎりぎりまで入り込んで作られている事や、 山が木以外は本当にきれいに刈られている事などが見て取れます。
このように、白石島では全てが島で生産されていました。
そして再び生産が可能になるようにする事は島民の生活に直結していましたから、 必然として自然も大事にされていました。
しかし、電化製品が入ってくるようになってから、島の生活スタイルも変化を余儀なくされていきます。
現金収入が大事になってきて、若い人間は島外に経済活動を求めて出て行き、島に残らないようになっていきます。
それに伴い、畑の担い手も少なくなり、山に薪を求めて入る事もなくなったので、 山に入る道も荒れがちになります。
今では島の水道も笠岡市からライフラインで供給され、 島で出るゴミも船で笠岡に運搬して笠岡の処理場で処分するなど、島での生活は様変わりしています。

2 白石踊りと泥さらい


白石島の平野部が干拓事業によって作られた物である事はこのwebの中でも何度か触れていますが、 埋め立てた土地に塩が上がってこないように埋め立て地の一番海側に、2重になった堀状の池が作られています。 (右図)
この池がある事によって、陸側から海側へ流れ出る有機物などは一旦沈殿して抑制され、逆に海からの塩は陸に上がらないという機能を果たしています。 この池は、放置しておけばどんどん底に泥がたまって池としての機能を失って行きます。 ですので、島では年に一度この池の水を抜いて泥さらいをするという行事がありました。 泥さらいはつらい労働です。 そこで、泥さらいそのものを男女のペアにして行うという工夫がなされていたり、 盆踊り、つまり白石踊りというハレの時間を泥さらいの後にセットにして行うという文化的な工夫がなされていました。 この事によってつらい泥さらいは取り組みやすいものとなり、毎年の楽しい行事へと変貌をとげたのです。 しかし、この泥さらいも若年層人口の減少により、近年行われなくなって久しくなっています。 結果として緩衝池は泥で埋まりつつあり、島の排水が緩衝池で一旦滞留して過剰な有機物等を落とす事なく海に直接流入する事などが懸念されています。
緩衝池地図




泥さらいの写真